Bダッシュとは、コンピュータゲームのコントローラのBボタンを押しながら移動することで、通常よりも速い「ダッシュ」状態で移動できることで、
私が幼い頃に流行っていた「ファミコン」のマリオでは、このBダッシュをよく使っていました。
今日は、人生をゲームになぞらえて、悟りと言うBダッシュで、早送りして生きることが、果たして正しい選択なのか?ということについて考えてみたいと思います。
ポケモンGOは何歳から与えるべき?
先日、仕事先のお客様と「子供には、いつごろゲームを与えるか」という話になりました。
今はポケモンGOに夢中な話題が毎日テレビから流れているので、時事問題として話題を投げかけられたのですが、
親として、子供にゲームを与えるタイミングは悩みの一つのようです。
そこにいた若い男性がぽつりと。
僕は、小さいころ、親がとても厳格だったので、ゲームも漫画も、ましてやテレビもありませんでしたよ。
だから正直、学校の友達がゲームや漫画の話で盛り上がっている時、自分だけが疎外感を感じていてとても辛い思い出なんですよねー。
その反動で、大学生になって、その頃の時間を取り戻すかのようにゲームをやり始めたけれど、Bダッシュや、隠し扉などをみつけては、すいすいクリアしてしまったので、正直、全然面白くなかった。
ゲームも、クリアすることも大切だけれど、その時の友人と一緒に経験するということが、何よりの醍醐味なんじゃないかなーって思うんですよね。結局、旬の時にやらなければ、面白味って半減するんですよねー。
というお話し。
私はこれを聞いて、なんだか人生そのものを学ばされた気がしました。
よく、人生はゲームのようなものだと言われます、もっとあの世に聞いた、この世の仕組みの第三章、人生は「苦」なりに、人生をクリエイターとマリオにわけて解説されています。(クリエイターである神様とは、まさに忍天道!)
このたとえ話がとてもわかりやすくてお気に入りなのですが、若い彼の話を聞いて、さらに理解を深めることができました。
悟りや、覚醒を求めることが大事!っていう風潮がありますが、これって人生においてもBダッシュを求めているようなものなんですね。
けれど、一気にクリアしても、死に急ぐようなもので、
とはいえ、視野が狭くなって、悲しみの中に閉じこもってしまうことも違うだろうから、
悟りや覚醒なんて、「そっか、人生というゲームを楽しみに来ているんだ、困難も、全部自分が創ったものだから、ちゃんとクリア方法も設定されているんだぜー」くらいの思考を思い出せたところでOKだと思います。
んで、自分の人生に戻って、楽しみつくす。
子供のころの遊びを、ずっと保留して、保留して、保留して、大人になってやってみても、さほど面白くないのは、それを体験する時期を逃しているから。
やりたい!と思ったなら、それは「今」するから面白いの。
そのタイミングを、様々な言い訳をつかって逃すのはとてももったいないことなんだなーってことを学ばせていただきました。
人生は学びであふれていますね。
こんな気づきを与えてくれたポケモンGOにも感謝(o^-^o)