MEMO代わりの備忘録

「悟り」を最終目標に設定すると、迷路で迷うから気をつけて

2015年8月23日

潜在意識や、引き寄せの法則に興味を持ったその時点で、「もっとよい人生を生きたい」という願望が潜んでいます。

 

 

本やセミナーなどで知識を得ようと
興味がそそられるキャッチコピーなどで
いったりきたりしてしまい、
どんどんと懐疑的になる

「今度は本当に欲しい情報が入っているんだろうか」
「この本で終わりにしたい」等々

 

このようなパターンに陥ってしまう原因は、
最終的なゴールのかたちがイメージできていないから。

このひと言につきます。

 

自分にとっての幸せが
どのようなかたちかがわからないので、
ときどき、「悟り」に憧れて
目標にする方がいらっしゃいますが、
これは大きな間違いです。

 

ある有名なお坊様が、
このようなことをおっしゃられました。

人は既に「無」から生命を受けて「有」となり、
人生を楽しむために地上に降りてきているのに、
生きたまま「無」つまり「悟り」を経験しようと
一生懸命に修行する。

 

私も修行をしてきたから、
経験者としてお伝えします。

 

人生そのものが修行なのです。

「無」に憧れることは、とても無駄なことです。

 

なぜなら、「死」=「無」であって、
それは生を授かったものの定めとして、必ず用意されているものですので、
悟りを目指すということは、人間としての死を目指すことと同じです。

 

それより、感覚を研ぎ澄まして、周りをよくご覧なさい、
あなたを産み育てた人がいて、
自然があり、空気があり、生きている。

感じる心があり、喜びも悲しみも人生です。

 

幸せとは、外に探すものではなく、内にあると知ることです。

心の平安を得ることができたときから、
あなたの人生は、死ぬことさえも生きることと感じるでしょう。

 

深い安らぎを得たあなたに、
人と物と金、生きることに必要な全ては
自然と満たされてくるのです。

 

大切なことは、外にあるのではなく、内にあるのです。

 

よく、幸せを求めて
amazon行脚で本を見つけては、購入し、
読んだときには、テンションあがるけれど、
次の日には、変わらぬ毎日、、、
を繰り返す人がおりますし、
私もその一人だったりしたんですが、

「このセミナーを受けると、悟りがひらける」という
紙が入っている本があったりします。

 

魅力的なストーリーで、
参加申し込みしたくなってしまったりも
するのですが、

大切なことを思い出してみてください。

 

人から与えられたエネルギーや悟りは、やはり人によって奪われてしまうものだと思います。

 

悟りを餌に、高額なお金を対価として支払わされるのにはとても残念な気がしてなりません。

 

セミナーが悪いというわけではないのですが、自分で気づき、それが学びに繋がるという実践的なプロセスが大切で、誰かに与えてもらおうっていう考え自体、他人任せの象徴なんじゃないかって思う、今日のこのごろです。

 

では、逆説的に、もっと煩悩に素直になって、やりたいことを突き進み、失敗の中から学んでいく、これがこの世に生きた醍醐味ってなもんだと、つくづく思うのでありました。

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