MEMO代わりの備忘録

育った環境の違いと、願いの叶え方の違いについて考察してみました

2017年3月13日

願いはほぼ100%叶うことを信じている私ですが、いまだに叶わない願いの、叶わない一番の理由は、

 

自分が意識的にブロックしている

 

願いながらも、それが不可能なことと思い込んでいることが原因なのは、十分に理解しています(アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるという状態だと比喩されることが多い、この部分です)

 

このブロックは、ほぼ、成長過程で経験し蓄積した記憶によるもので、多くは「恐れ」「罪悪感」が原材料となっています。これらは、無意識であったとしても、親から、先生から、社会から、友人から、新聞からの情報によって生成されます。

 

私は、このブロックを外すことについて、育ち方の視点でひも解いていけるんじゃないかな、と考えています。

 

というのも、私の友人に、私とま反対の考え方の持ち主がいて、いつも彼女に会うと、感情が強く揺さぶられて(正直とっても疲れるのですが)、逆に何にそれほど引っかかるのかを分析することで、自分を知ることができるのではないかと、関係を続けている人がいます。

 

先日は、お酒も入ってか、お互いの生い立ちについて話すことがあり、面白い共通点を発見したので、備忘録します。

 

 

裕福な家に生まれた子と、貧乏な家に生まれた子

 

私の生い立ちは、小さい頃に親が離婚し、まだ記憶のないくらいの時期はおばあちゃんに預けられていました。小学生になる前に、再婚し、養父には厳しくも愛情深く育てられました。ただ、母親が借金を抱えていたということもあって、小さなころは食べたいものを食べたいと言うだけで「ワガママな子」「自己中心的な子」と叱られていました。

 

反対に、友人の生い立ちは、父が社長さんをしていたおかげで、小さい頃から英才教育。大学も美大に入り、海外を飛び回り、悠々自適な生活を送っていたが、最近になって、親から「あれだけ手をかけてやったのに、これくらいしかなれないのか」と、専業主婦であることを回りくどく責められるということに悩んでいるとか。

 

 

今の考え方の癖、というものは、記憶によるフィルターがかかるので、私の基本的なフィルターは「確かなものなどない」というところからのスタートでした。なので、自分で様々なものを経験し、学び、今があると思っています。

 

彼女のフィルターは、「自分で変えることができない」というフィルターがかかっているので、私が今までいろんな夢を語ってきても「じゃあ、現実的にいくら貯めるの?」「私にはそんな野心がないから、無理だわぁ」とか、何かとネガティブワードが出てきていました。

 

彼女は私よりも、才能があって、きれいで、周りからみても理想的な環境をもつ人間なのに、いつもどこか不満げに感じていたのは、「私がやったんだ!」という自発的な行動からの達成経験が少なく、いつもどこか周りに流されているばかりで、最近は、そんな自分を嫌と思うようになってきたんだそうです。

 

私は?

 

幼少期から、割と不安定な環境にいたからか、願いを叶えようとするときに、ブロックとなる「常識的に考えて、無理だよね」というフィルターは、さほど強く持っていないようで、振り返ってみても、見知らぬ人から大金を貰ったり、常識からは考えられないような出来事は、割と起こしています。

 

反対に、関係を継続するとか、何かを強く信じる、というフィルターが弱いようで、若い頃は特に自尊心なんか皆無!だったので、あまり自分を大事にするという視点はなく、周りに流されに流されまくっていました。

 

自己信頼が低いので、長期戦には弱いようです。

 

 

彼女は?

 

幼少期から、安定した環境にいたからか、思考が硬いようです。「絶対」とか「間違いなく」という言葉が口癖で、「常識的に考えて、無理です」と、夢を一刀両断してしまう傾向が強く、安定した関係は築けるけれど、そこから脱出することに関しては自分を信じることができず、諦めることが今までも多かったようです。

 

 

私と彼女、どちらが秀でているとかではなく、スタートが異なっていても、環境は異なっていても、幸せを求める気持ちはお互いに持っていて、それを二人でいつか感じることができるようになったね、と話せることが楽しみでなりません。

 

恵まれた環境が用意されていても、自分でそれをつかんだ、という達成感がもてなければ、これもまた幸せではないのかな、と考えさせられた一日でした。

 

 

 

余談ですが、

過去の記憶は、考え方の基礎になると知って、自分の生い立ちを恨んだりもしましたし、どこか解消できていない感情があったのではないかと、インナーチャイルドワークやスピリチュアルリーディングなども受けたことがありますが、他人から得られる情報に、満足いく答えは探せませんでした。

 

ただ、満たされないものを満たすより、今現在を満たすことに考えをシフトしはじめてから、今年で4年目になりますが、小さな積み重ねが、自己信頼を増やしていけたようで、その過去さえも、全て自分が選んだものだと、腹に落とすことができています。

 

願い事が叶うという種類でいえば、自分を信頼して得るものというより、失うものがないからという理由で、怖れというブレーキを外すことができていたのかもしれません。視点をどんどんあげていくことで、頑固さが減り、こだわりも減ると、そういうものもあるのかもしれない、と、受け取ることができるようになります。

 

私も現在進行形で発展途上なので、不可能と思うゲージは低くても、受け取っていいという許可を出すのは、人より少し下手なのかもしれないなと思うこの頃です。まぁ、これも少しずつ、経験を積み重ねていき、受け取り上手になることを楽しみにしているところです☆彡

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