「さとり」に憧れない
誰かのファンにならない

潜在意識を使いこなしたいと願った状態で、様々な情報を取り込むと、間違った情報にのめりこんでしまう可能性があります。

 

正しく使えば、決して魔法ではない「引き寄せの法則」に、どこか神秘性を感じて、活用しようとしている心は、弱さも含まれています。もちろん、この弱さを磨くために、今から勉強しようとしているのですが、その世界での立ち位置は”幼稚園児”であることを自覚しておくことは大切だと思います。

 

なぜなら、「変わりたい」という心理を巧みに利用して、凶悪な新興宗教に走っていった人を知っています。とても頭の良い方だったし、仏教などの宗教についても勉強していた方ですが、勤勉だったことが災いになったのかもしれません、まるでパズルのようにつながる現実に、すっかりのめりこみ、ある程度の段階で、自分の力を確信すればよかったのですが、ゴールはその団体にどっぷりとはまってしまい、全財産を搾り取られ、信用も失い、家族離散という、本当に本当に残念な結果となってしまいました(涙)

 

私だけは、大丈夫。といった過信が、一番危険です。

 

ネットワークビジネスで大儲けしている知人いわく「勧誘に一番弱い人は、否定をする人。それをすべて理屈で肯定していくと、簡単にひっくりかえせる。逆に、勧誘に一番強い人は、無関心な人。こちらが何を言っても響かないので、全く勧誘できない」

 

潜在意識を学ぶにあたっても、盲信しないこと、知識を得ても、自分で確かめてみるというスタンスで、主人公はいつでも「自分」であること、「誰か」がこう言っていたから、といった思考は危険だということを、まずは頭に置いておくことをお勧めします。

 

「そういう可能性があるのかもしれないよね」と、謙虚に受け止めることができる方は、きっとこれから進む道の中で、バランスよく知識を吸収できると思います。

 

 

エネルギーは自分でつくる

こちらも私の体験談で恐縮です。
ネガティブな出来事を受けて、なぜこんなことが起こるのか、とにかく知りたくなりました。

 

ラットレースのように、幸せを追いかけることにも正直疲れていたんです。

 

そこで出会った本のなかには、生死の境目に生きた方が「有料」で「そのパワーを与える」というものでした。
これには、心が弱っていたときだったので惹かれるものがありました。しかし、冷静に考えてみると、人から与えられたものは、いとも簡単になくなります。

 

エネルギーの存在はわたしにとっては、当たり前のもので、マッサージなどを職業にされているかたは、負のエネルギーを受け取る機会が多いのでと、休日には必ず自然の空気を吸いに行くとおっしゃられていましたが、マッサージを受ける自分でも、気の多い施術者さんと、気の弱い施術者さんとでは、終わった後の爽快感が全く違います。

 

ご飯でも、大型工場で1万のうちの1つとして作られたご飯より、一人の人が、丁寧に、そのご飯を作るまで修行をし、工夫をし、エネルギーが注入されているご飯を選びたいと思っています。

 

話がそれましたが、エネルギーをセラピストから受け取るということは、その人の正も負も受け取るような気がしてます。

 

個人的な意見ではありますが、美味しいご飯を食べて、自然の空気を吸い、ゆっくりカラダを休めることに集中すると、本当にゆっくりかもしれませんが、内側からのエネルギーが充満してくるので、そのエネルギーはとてもピュアですし強力だと思います。

 

自分に価値が無いと思っているときには、他からのエネルギーがとても魅力的にうつりますが、逆に、魅力的と感じた自分が、今、エネルギーが落ちているんだと自覚するきっかけにもなると思うので、そのような情報は、正しく使うことが良いと思っています。

 

 

最終ゴールは、「悟り」ではない

「さとり」についても同じです。
潜在意識をつかって、幸せになりたいのに、目標が変わって、「さとり」たいという人たちがいます。「さとりました」と本を書く人がいます。

 

しかし、本当にさとった人は、無欲です。本を出して、人に知ってもらおうという気持ちにはなりません。
だって、人生はそれぞれの人が主人公で、起こること全てが宝物であることをさとった人は知っているからです。

 

なので、本当にさとった人というのは、表舞台には出てきません。

 

ただ、例外なのは、臨死体験をした人です。この方は、真実を体感して知るんだと思います。
生きて返されたということは、それを伝える指名があるのかもしれません。ですが、この方も決してさとったわけではありません。

 

これは本当に私の個人的な見解ですが、本当のさとりとは、死の瞬間にやってくるのだと思います。
というのも、さとりとは「無」だからです。

 

私は小さな頃、暗闇が嫌いでした。「無」に戻ることが嫌だったのだと思います。やっと遊び場に出てきたのに、また戻されるの?!という感覚だったのかも知れません。

 

20代後半に父の死を経験しました。
死の瞬間まで話していた父の言葉は「幸せは家族だと思う。いい面も、悪い面でも、家族はいいぞ」でした。
痛みに苦しむ中での父のこの言葉は、彼の本心だと思います。
苦しいときに、幸せを語ることはできません、彼の人生にとっての、学びなんでしょうね。

 

人の魂の成長は、最良のタイミングがあると思います。悟りを切望することは、生き急ぐことにもつながりかねません。今を大切に、悟りというりんごを追いかけないように、少し頭の横に置かれるとよいかと思います(o^-^o)